犬の脚の万年筆

犬が前脚の爪でがりがりと地面に刻み込む日記です

夜風の帰還

少し冷たいこの季節の夜の風が窓から吹き込んだ瞬間

小学生の頃通っていた英語塾の帰り道に感じた風の感触を

克明に思い出した。

 

僕の肌を吹き抜け遙か記憶の地平に吹き去った風が

複雑な気流の乱反射の末、今しがた窓辺に帰ってきたのだろう

あの日感じた、陰りゆく紫色の天によく似た

深い空虚を従えて

唯心論之湯

午前5時、僕は海岸で一人結婚式を挙げていた。

 

式の準備段階ではなかなかみな楽しげな雰囲気だったのだ。

しかし、僕ごときにそのような幸福があるはずもないとふと考えたせいだろう

当日式場に向かってみれば、荒れ果てた岩肌と

海洋のごとく広大な黄色の温泉。

文字通りの「黄泉」である。

 

心象が具現化するというのは

この午前5時の王国ではよくあることだ。

明け方の夢は唯心論的世界だから。

目ではなく心が視ている風景なんだから。

 

ちなみに真夜中の夢は唯脳論世界であり、

心の世界よりずっと人為を介さぬ機械的な構造になっている。

 

さて、日本海式の荒波打ち付ける黄泉のビーチで、

僕は白装束を着て立っている。

貸し衣装屋には白いタキシードを頼んだのだが、

どう見ても死に装束だ。

 

参席してくださった数名の人々もまた、

死に装束。

ずいぶんペシミスティックな衣装屋だ。

 

しかし参席者の皆様はずいぶん楽しげな様子。

楽しげな様子で、一人一人黄色い海の中へ歩き進む。

いやはや面白い人生でしたと互いに笑いあいながらの入水。

 

なるほど、死を生の一部として気楽に捉える死生観があるなら

自死を生の一部として気楽に決行する死生観もあるわけだ。

 

最後に残された僕は

畳んだ死に装束をタオル代わりに頭にのせ

黄泉の浅瀬に浸かる。

38度程度の実にいい湯だ。

長湯するにはいい湯加減だ。

75年程度の長湯をするには。

赤いソファーの主

近所の裏庭に打ち棄てられている真っ赤な革のソファー。

昨日の空に訪問してきた雪たちが、今朝の太陽と挨拶して立ち去ったあと、

そのソファーの上にだけまだ少し雪が残っていた。

 

座り心地がお気に召したのだろう。

 

ソファーも純白の主を迎え誇らしげだ。

白により引き立てられた赤色がいつもより自己主張している。